日々、好日。

うつわや日本の手仕事、日々のことを綴っています。

大量生産と一品生産

今日は、弾丸日帰りで松本へ行ってきます。

いま新幹線で向かっているところでの考え事。

 

仕事でめいっぱい忙しかった頃、

洋服や雑貨をなんとなく買っていました。

家からそんなに遠くなくて、

お気に入りのお店で。

もちろんそのときの気持ちに素直に、

気に入ったものを。

 

でも、好きだな、というお店は

いまはけっこう、どこにでもあったりする。

新宿や渋谷、池袋、吉祥寺、郊外のショッピングモール。

どこにいても同じものが買える。

とても便利ではあるけど、

もちろん好きなものではあるけど、

ふと、それだけの消費活動は味気ないな、と思った。

 

あれ、私が求めているのはこういう生活だっけ?ってなんとなく考えるようになりました。

 

洋服は

たくさんあるなかでも

好き嫌い、似合う似合わない、など

いろいろと厳選して、これ、というのを選び出す。

一品ものは高くて手が出せないし、

作家の好みが強く出すぎて

着こなせなかったりする。

だったら、

大量生産だとしても、いい素材でいい仕立てで買えばいいのかも。

少々値が張っても、10年着ることを考えれば安い。

そう考えている人たちも多いと思う。

 

雑貨や日用品はどうなんだろう。

100均一でも売っている。

それでも充分用を足すし、なにより経済的。

食器も同じ。

シンプルな大量生産品がいろんなお店で安く売られている。

 

忙しいときは

洗い物を溜めちゃったり、

食器洗浄機の恩恵を受けたいもの。

 

そういうときのために

そういう人のために

大量生産品も必要なのです。

 

でも、やっぱり

手仕事によるものに愛着が湧くのは、

作り手の顔が見えたり、

かたちの意図がわかったり、

なにより丁寧な仕事が伝わってくるから。

使うと、そのひとときがとても充実した愉しい時間になる。

心に余裕がある、とはそのときのことをいうのかもしれない。

 

たくさんあると壊れたりなくなっても、また買えばいいや、っていう気持ちが働いて、ものを大事にしなくなる。

世界でひとつだけのものは、

壊れたら直して使いたくなるし、

ゴミも減らせてとてもエコ。

 

大量生産は一時的なもの、一品生産は一生もの。

ものに溢れるなかで生活している私たちは、

両方を使い分けて、取捨選択して生きていくのかな。

 

ちなみに、つい先日、

旦那様の従兄弟が家を建て替えたいというので、

半分遊びで間取りを考えてみました。

家って、手仕事が集合した究極の一品生産なんだなーと改めて思いました。

 

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